随筆集 生と死

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生と死

岡本幹輝

誰でも死は怖い。その理由には幾つかある。まず、一般にヒトを含めて生物体が危険を避ける姿勢から、怪我をすることや殺されることから逃れたいとする、自己保全の本能から来ることは疑いのない理由である。さらに、一般の生物体以上に情報交換能力の備わったヒトとして死を恐れる理由の一つには、誰もその世界を見たことがない未知の世界が死後の世界であるというところから、知らないものに恐怖を抱くところから死を恐れるのも大きな理由の一つであろう。ところが未知の世界なのに偶に自分は見てきたと言い、赤鬼や三途の川の有様などまことしやかに語る者もいるが、そのような話は、何かの弾みで仮死状態になっていたのが幸いにして息を吹き返して、日ごろから地獄極楽の話を知っていたものだからその情景を仮託して、想像力を駆使して創作して得意になっているか、あるいは、老人性痴呆の状態で幻覚が生じ、真実と想像上の区別がつかない場合の話が誇張して伝えられたものであろう。また、ヒトを始め生きていた生物体が死んだときに異臭を放って腐って醜くなるのも、自分がああなるのかと死を忌み嫌う理由の一つに挙げられよう。

 もう一つ死が怖い理由は、その永遠性にある。死んでしまえば再び生き返らない。何億年、何兆年過ぎようが自分が死んだ後、今まで生きてきたこの世界がどうなって行くのか知るわけにはいかない。眠りから覚めて「ああ自分は夢を見ていたんだ」と辺りを見回したり、映画や物語の世界に耽った後で現実の世界に戻って自己の存在を確認するのとはわけが違って、死とは再び戻らない永遠が持続する世界に入ることである。だからこそ恐ろしいと、意識を持ち、自我を持たされたヒトは思うのである。全ての判断基準は自分にあり、今、此処に、こうやって存在する自分が、過去や未来だとか、世界だとか日本だとか、周りの人々との関係だとかを判断する基準が、もはや永遠に失われてしまうのが怖いのである。

 そのような怖さから逃れるためにヒトは、肉体は滅んでも魂は永遠であり別の肉体(それがヒトであれ他の動物であれ)に乗り移って再生し絶えることなく生死を繰り返す輪廻転生(りんねてんしょう)とか、死んだら生きていたこの世での行いに従って神や閻魔大王の裁きにより地獄か天国に分けられて其処で暮らすことになるとかの、想像上の世界と、超人として絶対の神を作って安心を得ようとする(ダンテの『神曲』など)。このような想像上の世界は天上か地下に永遠に存在するものであり、我々は生まれて来る前にはそのような天国にいたのだとしたり、そのような天国はもともとは神々の支配する世界であったのが、其処から神の使いとして派遣され(『古事記』)、あるいは悪事を働いて追放されて(『旧約聖書』)地上にやってきたのが我々ヒトの祖先なのであるとかの神話や國作り伝説が、ヒトの歴史の有史以前の部分としてどこの国にもある。そしてヒトの歴史に組み込まれたり、あるいはそのままの形で宗教となって存続したのが、日本の神道でありキリスト教・イスラム教とその同根のユダヤ教である。いずれも死と向き合ったからこそ生じたヒトの知恵と言えよう。かくてヒトは死んだ後も霊魂(spirit・タマ)は肉体(なきがら)を離れて個体ごとに存続し、再び他の肉体に宿るか、あるいは天国・極楽か地獄・黄泉(ヨミ)の国で永遠に永らえるという展望を持つことができ、だからこそ、この世での善行があの世での幸せに結び付けられ、宗教の説得性に力を貸したのである。

 このような神話やそれを継承する形の宗教とは異なって、神の存在とは全く無縁な極めて合理的な哲学や倫理学が信仰の対象として存在する。儒教と仏教である。

 中国で広まった孔子を始祖とする儒教では、「怪力乱神を語らず(『論語 述示篇)』」と不思議な道理に外れたものを遠避けた。特に無神論の立場ではなく「いまだよく人につかえず。なんぞ鬼につかえん 」と述べ、この言葉に続いて「いまだ生を知らず。なんぞ死を知らん(『先進篇』)と言葉を補っている。この点で孔子の常識性が示されている。したがって死後の世界とか魂とかの形而上のものについては、儒教は関心の対象にしなかったのである。そのような後世の『聊斎志異』などの物語に出てくる妖しい世界は、土俗の民間宗教や道教に委せよという姿勢である。

 インドでゴータマ・ブッダによって広められた仏教では、その後にその中から現れた浄土教などの派が、苦しい修行に随いて来れない無知の一般大衆を教化する方便・手段として、本来は修行者のレベルの段階を表した用語であった仏、如来、菩薩などを神に等しい地位に祭り上げて礼拝し、死後は彼岸としての涅槃・極楽に行けるように、生きている間に信心と善行を積むようにと教えたので、キリスト教と似た性格を帯びた部分も出てくるようになった。また、ブッダが生まれる以前から普及していたインド土俗の民間宗教では神々や魂、輪廻転生の思想が強くあり、それらの民間宗教が現在でもシャバ神を信仰の対象とするヒンドゥー教の中にも色濃く残り、これらが仏教と混同されたりしたので、あたかも仏教もキリスト教と同じような宗教だと誤解する人も多い。日本では江戸時代に徳川幕府の政策として、キリスト教を禁止し宗門人別帳を作って殆ど全ての国民を各寺の管理下に組み込み、僧侶に葬式を執り行わせ、戒名をつけ墓を建てさせたりしたので、仏教といえば死者儀礼を専属的におこなう宗教であるとの誤解が強く持たれている。(因みに古い建立の比叡山延暦寺には墓はなく、全て山麓の寺に設けられている。)

 しかしブッダの説いた教えは、これらインドの土着の民間宗教のほか、当時勢力を持っていた正統バラモンの神を認める教説や、同じく神のごとき一元的統一者の存在を認め宿命・宿業の輪廻転生を説くウパニシャット哲学、さらには、絶対的な神は認めないが肉体と魂の身心二元論を認め難行苦行を理想とするジャイナ教などへの批判が契機になっている。ブッダはこの世はすべからく因縁の離合集散から出来上がっているのであって、生も死も物質が集まったり離れていったりの過程の状態に過ぎないとする極めて唯物的な教えを説いた。苦しみというのは肉体を与えられた個々の個体が、生に執着するところから生じるのであり、この苦しみから解脱するためにはあの世に行く必要もなく、自らが個体として生まれ持ち来たったこの我執を捨て、己がそのような存在であることに気付きその事実を全身で素直に受け入れる(悟る)ことを説いたのである。肉体と離れた不滅の霊魂や死後の世界の存在の有無など、我々の経験的知識では絶対に解決できない形而上の問題を「無記」(アヴィアークハタ)、つまり解答が明記されえないものと称して、これらを論ずることを固く禁じている(『スッタニパータ』他)。ブッダは自分の死に際しても、後の処理は死体処理を扱う集団に委せよと(実際にはクシナーラのマッラ族が火葬した)、死者儀礼に比丘(出家・僧)たちが関与せず修行に専念するようにと言い遺して死んだ(『大パリニッパーナ経』)。わが国でも彼岸信仰の浄土教を説いた親鸞の曾孫で真宗本願寺派の基礎を築いた覚如も「某(私)閉眠せば鴨河にいれて魚にあたうべし」(『改邪鈔』)と葬式を否定し、踊る念仏の時宗を開いた一遍も「わが門弟子におきては、葬礼の儀式をととのふべからず。野に捨てて獣にほどこすべし」(『一遍上人語録』)と、ブッダの遺言に忠実に、在家の信者たちはともかくも、弟子の出家者に対しては強く死者儀礼を禁じて死んで行ったのである。

 ブッダと、その流れを汲みインドから中国に西来した達磨(だるま)の忠実な継承者であろうとした禅僧道元は、『正法眼蔵 生死の巻』で「生より死にうつる(移る)とこころうる(心得る)は、これあやまり(誤り)なり。生はひとときのくらゐ(位)にて、・・・滅もひとときのくらゐ(位)」だと説いている。ただその局相に違いがあるだけなのである。霊魂が不滅だというのは妄想で「身心一如」、つまり、身と心とを分別してはならず(『弁道話』)、肉体と離れた心や魂が存在する訳がなく、家(肉体)が焼けて家主(心)が逃げ出すように考えるのは外道(邪教)だとし(『正法眼蔵 即心是仏の巻』)、肉体が滅びれば魂も無くなるのだと言うのである。親鸞ですら「親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること未だ候はず」(『歎異抄』)と、他力行の立場からとはいえ、鎮魂や慰霊に通じる先祖への死後の供養を否定し、また、「かなしきかなや道俗の良時吉日えらばしめ天神地衹をあがめつつ卜筮祭祀つとめとす」(『正像末和讃』)と、死後の魂や神の存在を信ずる民俗的宗教儀礼を批判している。

どうやら、われわれが死の恐怖から逃れるためには、二つの相反する道のうちのいずれかを選ばなければならなさそうである。一つは、肉体は滅んでも霊魂は滅びず個人ごとに永遠に存続し、神の導きで、この世で善行を積めば死後は天国や極楽・浄土で安楽に暮らせるという、いまだかって歴史上誰も検証したことのない話を疑いを持たずに素直に信じ込み安心を得るか、さもなければ、もう一つの道としては、死ねば肉体も心や魂も同時に滅びバラバラの物質となって宇宙に還元されるという極めて科学的で唯物的な考えを、天才的な叡智と何年にもわたる超人的な努力によって、己に向き合って自覚し納得し、我執を捨てて宇宙と一体となって主観も客観も忘却すること(道元の『正法眼蔵 現成公案の巻』で言う“身心脱落”)で、恐怖を忘れ去る悟りを得る他には道はないということになる。

疑いもない素直な信心とか、天才的な叡知や超人的な努力を持てそうもない私としては、恐怖に恐れおののき、のたうち回りながら死を迎えることになりそうである。

以 上

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