随筆集 生と死

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狂簡と郷原

(きょうかん) (きょうげん)

岡本幹輝

 孔子は多くの弟子たちを引き連れて、各国を遊説して歩き、自ら仕官を求めあるいは弟子を封建諸侯に斡旋するなど苦労を重ねた結果、さすがに疲れ果て陳の国に於いて祖国を偲んでこう述べている。

「帰與、帰與。吾黨之小子、狂簡、斐然成章、不知所以裁之。(帰らんか、帰らんか。吾が党の小子、狂簡にして斐然として章を成せども之を裁する所以を知らず。)」(論語:公冶長)

[訳]帰りたいなあ、帰りたいなあ(故郷へ)。わが郷党の若者たちは、大言壮語して理屈を並べ立てているが、これを巧く切り盛りするやり方が解かっていないのだ。

この言葉から、孔子が故郷へ帰って、「狂簡」と呼ぶ若者たちを教育したいとの思いが伝わって来るが、孔子には彼らが可愛くてならない様子がよく判る。

日本語で「狂」というと精神異常者である「狂人」つまり「気違い」を意味するのが普通だが、かってはそれ程狭い意味に限定せず、物事に夢中になる状態をいう言葉としてよく使われていた。もともと字義は犬が決まった道を歩かず型にはまらずに無鉄砲に右往左往する姿を言うところから来ている。今でも「野球狂」や「熱狂」などに用例が見られる。「狂簡」もそのような使われ方であり、一途に天下国家を夢中になって論ずるいわゆる書生論議の若者のことである。「簡」は隙だらけの脇の甘い粗雑な状態であろう。孔子はこのような若者が好きなのである。

一方、「郷原」は、「狂簡」とは対照的に、年寄り臭く分別顔に意見する円満が売り物で、しかし、何事も変わったことや新しいことに反対する、どこの組織にも必ずいるいわゆる常識人をいう。「郷」とは村里のことで、「原」とは「愿」の意味で謹厳謹直の超真面目人間のことである。ちょっと考えると、おやっ、孔子やその一派いわゆる儒教を説く人々こそそうなのではないのかと思われ勝ちなのだが、意外にも孔子は、この「郷原」が大嫌いで、

「郷原徳之賊也(郷原は徳の賊なり)」[論語:陽貨]

[訳]円満な常識人は道徳を損なう者で害になる。

とまで言い切っている。

孔子よりも二百年くらい後の人で、孔子の教えを祖述した孟子に至るともっと徹底していて、さらに激しく「郷原」を非難し攻撃している。

「閹然媚於世也者是郷原也(閹然として世に媚ぶる者は是郷原なり)」[孟子:尽心下]

[訳]自分の本心を覆い隠してひたすら世間に媚び諂う者は郷原なのだ。

この攻撃の激しさは尋常ではない。まるで近親憎悪のように、忌み嫌っているのである。恐らく自分たちの説く教えが誤解されて正しく伝わらないのは、このような「郷原」の存在が邪魔するからだというのであろう。そこで、有名な次の言葉を孔子は述べ、孟子はこれを引用している。

「悪似而非者。(似て非なる者を悪む)

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悪紫之奪朱也(紫の朱を奪うを悪む)」[論語:陽貨、 孟子:尽心下]

[訳]似てはいるが本物とは違う偽者を憎む。

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      ・

   紫色(中間色)が朱色(正色)の地位を奪ってしまうのを憎む。

この「似而非」という用語は日本語となって「エセ」と読んで「エセ紳士」とか「エセ学者」とかとしてよく使われている。

中道を志向する孔子にとっては、それが困難であれば、むしろ「狂簡」の方がこのような「郷原」と比べるとはるかにましだというのである。

思えば若いうちに進歩が止まってしまい、老年に至ってもいまだに「年の取り甲斐もなく」と非難され続けて来た私にとっては、「狂簡」こそわが身であり、これまでの人生において随分と「郷原」から苛められて来たなあとの感慨が一入である。

以 上

   

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