随筆集 生と死

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国(公?)益と私益

岡本幹輝

 政治の場などで、「その意見は国益に適うのか?」と反論されると、途端に主張の矛先が鈍ったり、自分の意見を引っ込めたりする場合がある。このように、国益なる言葉は誰も文句がつけられない殺し文句として使われることが多い。反対に、「そんな自分だけ得するような私益に則った意見は控えるように」と反論されても同様である。つまり、国益なら100%善で、私益なら100%悪なのである。何も政治の場だけではなく、どこの組織の中においても、例えば「会社の売り上げや利益に貢献するのか?」とか「地域の利益に役立つのか?」という意見は「お前だけの利益を主張するな!」との意見と裏腹に、強力な説得力を持つ。

 国益が100%善であるという評価の根底には、国益は公益であって国民全体の利益のために役立つからという共通の理解がある。みんなのためになるのだから各個人の私的な損得を言うなというわけである。しかし本当に国益は公益なのであろうか?

 何が公益で何が私益なのかという判断基準は、判断を下す立場によって変わってくる。ある組織の中に限定してその組織にとって益するかどうかを考えた場合には、組織員の目からはこれを公益と見てもよいであろう。会社の売り上げや利益に貢献する施策か否かを論ずる社内会議の場などでの判断基準についてである。しかしその組織が今度は一構成員になってもっと大きな組織を作っている場合、例えば同業種の会社が集まって構成されている業界のような場においては、ある会社の中ではその施策が売り上げ利益に貢献するから公益に適うと見られて是認されていたのにも拘らず、業界の場においては他の会社の権益を侵して業界全体の調和を乱す施策として私益追求だとして退けられるときもあるであろう。つまり公益や私益と言っても絶対的な表現ではなく、立場によって異なってくる相対的な表現なのである。

 国益についても、これを常に公益だと見做すわけにはいかない。例として挙げると第二次大戦前の日本の政治において、満州国の樹立や中国・東南アジアへの進出は国益なりとして、ジャーナリズムを先頭に国民の大多数が熱狂してその国策を支持したものであったが、当時の国際連盟をはじめ欧米各国からは、日本の植民地支配や他国領土への侵略だとして激しい非難を浴びせられたのであった。日本にとっては公益としての国益であっても世界の多数国から見れば日本一国だけの私益と見做されたのである。

 それでは他方、公益の対極にある私益ならば全て否定されるべきものであろうか?そうではなく、一定のルールの下で互いに競争しあうスポーツと同様に、企業の利益追求や労働者の賃上げや労働条件の改善闘争などは、これらは明らかにいずれも私益を求めているのではあるが、一定のルールつまり法令に則っている限り、抑えてはならない。それどころかむしろ、ルールある競争は純然たる私益追求であっても、経済や社会の活力を生む源として奨励されるべきものと言えよう。要は、組織の中などにおいて組織の構成員がある主張や意見を述べたり賛否の態度を示す場合には、どの視点や立場に立脚して判断したらよいのかの基準の確認が大切なのである。

以 上

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